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卒業研究を学外の研究機関で行う事が可能だったため、学部3年生の時から、放射線医学総合研究所(以下、「放医研」という)にて研究をする機会を得ることが出来ました。最初は、アイソトープ(14Cや59Fe)を用いたX線分割照射の影響について研究していましたが、大学院からは、重粒子線がん治療の生物効果モデルの研究にシフトしました。理科教員免許も持っていたので、研究だけでなく、放射線教育にも力を入れました。住民向けの講座サポートや子どもたちへの放射線測定器を使った実験なども実施していました。
大学院課程研究員として放医研で活動していたため、就職活動は一切行っていませんでした。研究が可能な環境であれば、企業でも研究所でもどこでも良いと考えていましたが、放医研でしかできない研究内容と素晴らしい仲間たちのおかげで、進路は放医研に決めていました。任期制職員を経て、研究成果次第で正規研究者として残れるかもしれないと考えていましたが、結婚を機に千葉を離れることとなったため、放医研を去ることになりました。今でも放医研への未練は残ったままです・・・
現在は、アイソトープや放射線に関連する研究は行っていませんが、現在の専門である持続可能な開発目標(SDGs)において「エネルギー問題・エネルギーミックス」を取り上げることが多くなり、原子力発電所のことが議論に上ることもあります。現在は、柏崎刈羽原発所の30km圏内で働いておりますので、東日本大震災の影響もあってか、私が放医研にいたころとあまり変わらず、「放射線を正しく怖がること」の難しさを感じています。SDGsの観点から研究・放射線へアプローチすることが可能ですので、是非、SDGsの169のターゲットを確認してみてください。
生データや現象を「事実」として捉え、先入観なく「真実を突き詰める」ことが重要だと考えています。当たり前のように「予想を立て、実験計画を立てる」ものの、予想外の事象が生じることもあります。そういった時は真摯に向き合い、疑問を放置せず、「納得するまで・理解するまで」追求すべきです。時には上司と意見が異なることもありますが、自分の考えは声に出すようにしています。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」です。謙虚にしておごらず、コツコツと努力をしていきたいです。
影響を与えてくれた方は数多くいます。多くの人との交流を通して、「全力で取り組めばチャンスは巡ってくる」「何歳になっても可能性は消えない」ということがわかります。50代で博士号を取得する人も身近にいますし、私のように、人との出会いがきっかけで、アラフィフでも再び研究のチャンスを得られることもあります。気付かないだけで、日常生活の中に影響を与えてくれる人がたくさんいます。常にアンテナを張り、人との繋がりを大切にしてください!(ただし、悪影響を及ぼす人もいるので注意が必要です!)。
放射線は我々が生まれるまえからずっと地球上に降り注いでいて、私たちの生活は、放射線の存在を無視して過ごすことは出来ません。医療施設(医学物理士とか)や研究施設(放射年代測定とか)、工業施設(非破壊検査とか)での放射線利用だけでなく、自然界に多くの放射性物質が存在し、皆さんの体の中にも存在しています(体から放射線が出ています)。身近なものから放射線を学ぶと良いかもしれません。例えば、医療器具や衛生用品、食品容器を殺菌や滅菌するために放射線が使われています。放射線を利用して「起業」出来るかもしれません。この「放射線」を使って、日本から世界を変革し、イノベーションを興せると思うと、ワクワクしませんか?